たとえていうならナイフのようなもの....
2009年 03月 19日
一日120キロぐらい走るっていうのなら認めてやっても良い....とか
なんでその距離なのか根拠も無く、ましてそれ以上の距離をサラッと走れることを知るなり、前言が無かったように振る舞ったり....
ときにそういう輩とかかわらなくてはならないこともあるんですね。
そういうときは、心に仮面をした笑顔でその場を流してしまうことがほとんどです。
なぜなら、そういう輩にポリシーを持って生きている人が少ないからです。
自分を主張するならば、それに足りる相手と決めています。
というか、段々そうなってきました。
難しい考えを持って自転車に乗っているわけではありませんが、スポーツとして旅の道具として自転車に乗っていると、自己研磨こそが新しい世界を開いてくれることになるって事が分かるんです。
些細なことを大げさにいっていることにも思えますが、坂ひとつ登るにしても自分との葛藤があるわけです。ゆっくり行くのか、早さの限界に挑むのか、なにもかも自分次第です。
自分の中にあるちょっとしたチャレンジと、その積み重ねが自分を成長させてくれるという因果律に気付いたら、少なからずポリシーをもって生きる人間になれるライセンスを手に入れた...いわゆる生きる歓びみたいなものを感じるようになるのです。
研げば研ぐほど切れるようになるナイフのように、それまでとは違う自分を感じることは幸福なことなのではないでしょうか。
実は「限りなく透明に近いブルー」をまだ読んでないのです......
村上龍氏のエッセイからは、日本というムラ社会を達観しているような視点からモノをいっているような、異端的なコメントを発した時のリスクを背負っている潔さみたいなものを感じるのです。
小説のなかに潜んでいる作家のメッセージを読み切れない自分なので、エッセイの様なストレートなもの言いのほうが伝わりやすいですね。
表紙にある木村伊兵衛の写真「秋田おばこ」....半世紀前の写真とは思えないインパクトです。
本書を読んでいくうちになぜ木村伊兵衛の写真なのかが、分かったような気がします。
今晩は、お酒を軽くすすりながら続きを読んでいきましょう。