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愛別離苦

会うは別れの始め
この世に生を受け、気がつけば、自分がいて、いつの間に歳を重ね、この世を去る時が来る。
仏教では前世今世来世とかるが、人智はこの世しか知らしめん。
静かに、か、苦痛の果か、自分が自分であることを気が付かつかなくなった時が、死を迎えたときなのだろう。

寒暖差の激しい気候も一因であろうか、時の流れは脈動的に、いっときに、何人も旅立たれた。
纏わる愛憎様々。
自分の中にある普通のことが、普通でないことは、遥かに自分の中にある尺度を飛び越える。

愛別離苦_e0123825_17531641.jpg


気がつけば母に抱かれ、乳を飲み、飲んでいたことなどすでに記憶は無いけれど
温かいイメージだけが残る。
親の家庭の生活様式や常識がこの世で当たり前の、疑問の挟む余地もない子どもの世界。
幸せなことに、誰に聞いても差異はあれども普遍的な家庭で育つてきたことを両親に感謝せずにはいられない。
なかには、誰にい聞いても、これはおかしい家庭もある。
今で言う、DVな親の存在が生む悲劇は、子供の死によって世間に強い衝撃を与えるが
毒親の子供に対する仕打ちは、物理的証拠も残さず、世間には良い親の仮面をかぶれば
子供は....言葉にならない仕打ちを受けながらも、それがこの世界なのだから....

そんな闇の家庭から生き延びて、新たな家庭を持ち、子供を授かり、育て、
自分の生まれ育った家庭の異常さに、深く気が付き、心の傷を深くする。
明らかに自分の子供に対する愛情と育てる様々なことと、自分の境遇との差異を痛感する。

そしてなお、仮面をかぶった親は、良い親の演技をふりまき世間を欺くが
時がその演技の楚々をほころびを気が付き始め、人が去っていく。

生みの親との出会いは選択の余地はなく、それは重荷。
その親の子としての半生は、思いも及ばない深い闇と、そこからの決別がなければ
今はないのだという、確信を深く。
そういう岩の如き強き精神がなければ、子はこの世にいなかったかもしれない。

普通、といっていいのだろうか
子が親を思う気持ちをもつ人たち、所謂、世間一般の人から見れば冷血の誹りを受けるもやむ終えないのだろうが
それを知るものは、関わりを一度でも許せば、無限地獄の中に足を運ぶことになることは明白で。

だが、親の愛情を受けて育ってきたものには、理屈では理解できても、心は病む。
ただ、親との別れが愛別離苦ではないこともあることを受け入れないとならんこともある。
毒親は死しても、その毒を解毒させてはくれぬ。

だが、残りの時間のほうが短くなった人生、精一杯生きたろう、と己を叱咤する。





by jake490 | 2019-03-26 23:53

ペダルを回せばご機嫌のカメラ好きな自転車乗り。ご近所彷徨いながら日々の出来事を徒然なるままに


by jake490
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