FUJIFILMカメラの使い手のフジッコとしては、カメラが写し出すJPG画像が美しく
美しいものは美しく、それなりのものはそれなりに、と
昭和なCMのごとく、普通に美味しいというのは素晴らしいことなのだ、と思う。
撮って出しか、僅かな補正で仕上がるのは実にありがたいわけです。
とはいえ、要求値が高ければ、「ココなんとかならんのか」な部分もあったりするらしいが
ワタクシにはまだその高みには至っていない。
駄菓子菓子、解像度感に関してチョイと謎がありまして、
トリミングしない元画像データでは、ソコソコにピントの甘さが気にならない画像も
ちょっと甘い画像をいったんトリミングして拡大するとなんだかなぁ、と。
というわけで、受光した電気信号データを丸めていない、RAWデータでJPGに変換する前のデータを、FUJIFILMが提供する現像ソフトでひらいてみる。
と、JPGに変換するアルゴリズムは解像度感を落としている様子が伺える。
いずれも、粒子感がでてしまっているのだが、コレが銀塩写真の粒子感と異なり美しくない。
解像度感とノイズリダクションは相関関係が合って、お互いに並び立たないのは承知の上でなんとかならんのか。
と落とし所を調整することになる。
のだが、更に細かいとこをイジるとなると、どうもRAWデータといえども、開いた時にはプロファイルが決まっていて、かゆいところに手が届かない。
んで、扱いが難しいな、と様子眺めで試験的に使っていたGNU系?のフリーウエアだと
そのプロファイル自体も自分で設定するという、ことに気がついた。
それゆえに、データを開いた時に、コレ違うじゃん、になっていたわけだ。
面倒くさい、といったらソレまでだが、
シチューを作るのに市販のルウで作るか、自分でホワイトソースを作るか
ぐらいの感覚で、普段は市販のソレでOKだけど、たまにはね、的に。
解像度感とノイズリダクションの具合を
銀塩写真のイマジネーションが持つリアリティのイメージで風味でとりあえず。
フィルムシミレーション的にはアステア。
フジッコだからさ。
ムカシはコダッコだけんどね。(カッコつけしいだけの)
未だ扱えきれてない、状況なのでね。
良き結果を導き出せそうだけど、馴染みのない用語を、ソレが何を意味することなのか
を紐解きながら、な知的好奇心の沼に片足突っ込んでしまった感が拭えない。