特に確信があったわけではなけれど、明日、明後日には開花するね、と信じていた。
本来は休みなのでビオトープを訪れることはなかったのだけれど
幸か不幸か、出勤ということで、ビオトープを訪ねる事ができたわけだ。
ホントは、蓮の華のことをすっかり忘れて、ビオトープを通りすぎてしまうところだった。
ビオトープに近づいて、池に咲く一輪の蓮の華を見て、そうだった!と思い出した。
まだまだ35mmの世界観が把握できていないので、昨日のムーミン谷では
どちらを使って撮るか、随分と悩ましくて、撮影のノリが悪かった。
今朝はこの美人一本槍なので、撮影はシンプルだ。
先ずは35mmで、心象とビジョンを一致させるべく撮影を始める。
次はX30で
柔らかい描写を狙って35mmの絞りを解剖あたりで探っていた画像に目がなれてしまうと
X30の開放でも、描写が固く思えてしまう。
が、35mmとX30は優劣なのではなく個性の違いなのだ。
とはいえ、流石に差があるな、と感じつつ、Macで画像を開いてみたら
まあ、びっくりで、甘かった露出補正とピーキーな部分に若干の手を加えたけれど
なかなかだ。
更にレタッチを加えれば、いわゆるエアリーな表現も可能であって
誤魔化しでエアリーなエフェクトをかけるのではなく、素地がいいから化粧したくなる
とでもいうのであろうか。
別嬪さんの薄化粧。
再び35mm
奇をてらわずにオーソドックスなアングルで
まあ、腕が有る人ならば、もっとスゴイビジョンを描いてくれるポテンシャル
それがヒシヒシと伝わってくる。
このレンズは奥が深いし、このレンズから始まって最後はこのレンズに帰ってくる
そんな使い古した名セリフが似合いそうな。
過日、カメラ店で、35mmに装着する保護フィルターを求めに行った際
フジのこのレンズが使いたくて一眼に手を出した、と言ったら
フジの信者扱いw
ヲタクな店員さんには、いい意味で困ったものである。
そういえばCAAD9を熱く語ったら、Cannondale信者と呼ばれたっけw
まあ、自己表現をする相方に惚れなくちゃ世界を堪能できないわけで
信者と呼ばれるのは誉であるな。
カメラ雑誌のライターさんのインプレ対談記事でも、ここにフジの信者がいたら面白い
などと、愛情を込めたものなのか、批判的なのかは分からないが、そんなセリフを。
アバタもエクボ、なので、惚れるのはそれぞれの価値観に委ねることになるのだが
フォトグラファーの最終的表現がプリントならば
フジのポテンシャルはフジのカメラで撮影した画像はフジでプリントを仕上げれば
カラーキャリブレーションなど、最も基礎的な部分が担保される。
実はこれが、重要なポイント。
でも、多分、見逃しているか(わけないよなぁ)この辺りに触れないようにしているんじゃなかな。
なんてことに思いが及ぶのも、信者扱いしてくれた店員さんが引き出してくれたものw
これはJPEG撮って出し、画像を適当にリサイズしただけ。
シャッターを切って画像が完結。
なかなかの潔さ。それ故にその一瞬にどれだけビジョンを盛り込めるか。
フォトグラファーとしての根源的発露がここにある感じが良いよね。